召命を待つ
昨日はお世話になっているイタリア人神父様に色々と相談に乗って頂きました。
その神父様に「神様は今この瞬間に私たちに働いている」と仰っていました。
私は未来のことを考えてしまうところがあります。
「こうなったら良いな」とか。
でも、それって多くの日本人が神社などでやっていることのように思います。
所謂「願掛け」ですね。
でも、そういうことを望むのってやはり苦しみと隣り合わせだと思うんですよ。
だって、望むような未来にならなかったら辛いじゃないですか。
望んだ通りの人生を歩んでいる人なんて、本当にごく僅かだと私は思います。
私の身の回りに、その「ごく僅か」の方に入っているであろう、すごく恵まれた方がいらっしゃいます。
元々たくさんのものを与えられている側の人間で、かつ深い喪失もそこまで経験していない。
いや、喪失はあったとしても、その失ったものを上回る肉の次元の恵みがあるので、結局今現在「幸せそうな人」の部類で生きている方です。
やはりそういう方は、人生や信仰について語っても大事なところで説得力に欠ける。
なぜなら、多くの人間が喪失を経験しながら苦しみと共に生きているからです。
深い喪失の経験、そこからたくさんの試練を乗り越えてどうにかこうにか立ち直って神の方を見る。
このプロセスがない方っています。
では、私がどうか、と言うと分かりません。
ただ、喪失の中で深く苦しむ人々の心に寄り添っていければと思います。
それにはもっと頑張らないと。
そのために祈ります。
祈りのうちに、私がなるべき職業を神に示して頂ければ、と思います。