人生の喜び
今の日本を見ていると、信じ難い速度で衰退して行ってると感じ、この先の10年について思いを馳せると涙が込み上げて来るほどです。
カトリックのお友達が言っていました。
私が4歳のときの写真を見ての言葉です。
「瞳が、世の憂いを感じ取ってるような、深い瞳だ」
そんなつもりはなかっのですが、子供の頃から何かを感じ取る子供だったのかな、と。
私はこの年まで本当にひどい目に遭うことがたくさんあり、苦しみの中で生きて来ました。
その中で自分を律して生きるのも苦しく、混乱の中で自分を見失いそうになることもありました。
しかし、そんな私にイエス様が導きを下さったのです。
だから、今こうしてしっかりした自分軸を取り戻せています。
もし、私が人よりも強い部分があるとしたら、実はあまり人並みの幸せを知らないからではないか、と分析することがあります。
幸せに慣れてないので「まあ、こんなもんだろ」という程度で生きているので、そんなに世の中に期待しないのです。
だから強く見えているだけなのではないかと思います。
昨日、ある裕福な夫婦の夫の方が逮捕されました。
夫婦は東大を卒業しており、妻の方は時の為政者から大事にされ、テレビなどでコメントする学者でした。
メディアで彼らのことを知りましたが、「セレブ生活」と表現されるように、金銭をふんだんに使った贅沢な暮らしをしていると感じられる画像がたくさん出ます。
服にしても、持ち物にしても。
私は彼女ほど高額な服は持っていませんが、普通に周りのお友達に「オシャレだね」と言ってもらえるファッションで過ごせていますので、彼女に特に引け目も感じていないのです。
恐らく、私の周りの同世代の女性たちも多くが同じだと思います。
私は彼女の2歳上ですが、容姿やファッションを含む生活ぶりにおいて彼女のことを羨ましく思ったことがない。
でも、きっと私だけでなく、今時彼女みたいな感じの女性を羨ましく思っている女性って殆どいないと思うんですよ。
だから、彼女は何を守っているのか、と思います。
守るべき価値があるものは何なのか、よく分からない人だな、と思って見ています。
人生の喜びって何でしょうね?
私もよく分かりません。
でも結局、人の世の幸せも相対なのだと思います。
だから、唯一の神、天の父、私たちのイエス・キリストに祈るのです。
イエス様は絶対の正義だから。