肉の次元の幸せ
聖書の表現と言いますか、この世のことは「肉」と言いますね。
私は、肉の次元での幸せが殆どなかったかと思います。
物質的にはそこまで不安な状態にはなっていませんでしたが、精神的肉体的には本当にボロボロに傷つきながら生きて来ました。
今も、肉の次元の幸せを求めるところはありますが、でも半ば諦めています。
特に、愛情に満ちた家庭生活を営むことはほぼ諦めました。
一人ぼっち。
でも、周りの方々は言います。
「ララさんは霊の次元では本当に高いところからの導きがある方」
そのことには感謝しています。
でも、だからこそ不安になりますし、悲しくもなるときがあります。
私は肉の次元の幸せを本当に全て諦めなければならないのか。
私は、今この日本には大きな格差が生まれていると思います。
それは「幸福感格差」です。
お金の問題以上に深刻なのは、幸福感を覚えながら生きているかそうでないか、の問題だと思います。
今の日本、幸福感が殆どなくとにかく生きている人と、お金以上に豊かな愛情を得て生きていられる人と、分かれているように思います。
私は幸福感格差で言えば、満ち足りてない方の人間です。
しかし、それは肉の次元でのことです。
霊の次元では神様の方を向くための鍛錬を続けています。
だからきっと、私は幸福感を補えている…そう信じたい。
でも、本当は肉の次元の幸せを得たい気持ちは手放せてないです。
本当は、豊かな愛情を得て満ち足りた穏やかな日々を過ごしたいのです。
叶わぬ願いかもしれない。
それは乱れた執着なのかもしれない。
でも、この想いはなかなか手放せないのです。