強くなりたい
毎日毎日変化していて落ち着かないですが、何とか頑張っています。
昨日は聖イグナティウスの「霊操」を読み、黙想してみたところ、自分の弱さについて色々込み上げて来て涙が溢れました。
私は、自分の霊的センスに驕り高ぶり、教会を頼みにしてやって来る人たちの心許なさに目が向いていませんでした。
その人々の「心許なさ」を理解し、受け入れ、慈しむ気持ちに欠けていたことに気付いたのです。
何のために霊操を学ぶのか。
強くなりたいから。
でも、何のために強くなりたいのか?
私はカトリック教会が強大である理由を「弱い人たちを守るため」と捉えています。
自分が強くなくては弱い人たちを守ることはできません。
イエス様は特別な力を天の父から与えられていたので、とても強い存在でした。
だから人々を救えたのです。
自分の力に驕り、困っている人たちを「弱い」と身勝手に断罪することは、イエス様のみ旨に適っていません。
私ももっと、困っている人たちのために強くなるんだ、という思いを確かなものにして行きたいと思いました。
それにしても、今日はすごく眠いです。
ぐったりしています。
もう、夕方まで寝ていようかと思うくらいです。
早く春にならないかな。
昨日も今日も寒いです。
暖かな陽射しの中で眠れたら良いなぁ、と思います。
そして、浄化したいです。
自分の弱さと愚かさを。