召命が来た男の子たち
東京カトリック神学院のイベントで、神学生たちと触れ合い、色んなことを思いました。
そもそもカトリック信徒になり、神父様たちと関わるようになってからずっと考えていたことなのですが「この優秀な男性たちは、神に仕えるために一生独身なのか。と言うことは、彼らの遺伝子というのは継承されないということか」という、本当にこの思いはこれまでの私の価値観を180度変えるものでした。
つまりは「血統」に対する価値観のコペルニクス的転回が起きたのでした。
カトリックの神父は妻帯を許されません。
ですから、私たちカトリック信徒たちは定期的に「召し出しを願う祈り」を神に捧げ、司祭職に就き神に仕える青年が現れるようにと、天の父にお願いします。
カトリック教会というのは、このようにして霊的に司祭を選び出し、血統ではなく魂のリレーをして長く続いて来た組織です。
こういうことを、当たり前ですが多くの日本人が知りません。
日本人口からすると、カトリック信徒の数は1%にも満たないので。
しかし、カトリック信徒は世界に13億人います。
そのことを思えば、血統よりも重要視されるものが世界には当たり前のように存在することを痛感させられます。
話は神学院の神学生たちのことに戻ります。
神学生の中には、「この間まで普通の大学生だったのかな」と思えるような、少しあどけなさまで残した若者たちが何人かいて、でも「この青年には召命が来たのだ」と思うと非常に尊く思われます。
召命が来た時点で、特別な男の子なのです。
カトリック信徒たちの祈りにより、神に捧げられた特別な男の子。
神学生たちは練馬の閑静な住宅街の中にひっそりと佇む神学院で学びます。
彼らは神に捧げられた。
霊的に選ばれた。
イベントでは、信徒達が神学生たちと言葉を交わしていました。
私も、数名の神学生と少しだけ話すことができました。
世俗の世界にいたら、市井に住む普通のお兄さんなのに。
でも、彼らは神に捧げられた存在なのだなぁ、と後から考えて、何だか不思議な気持ちになりました。