神様の物差し
本当に、1年間多くのことがありました。
そして今、胸に去来しているのは「私たちは神の物差しで様々なことを捉えているか」という思いです。
私たちは互いに他者をジャッジしながら生きています。
私はかつて、不合理なジャッジのされ方から大変に辛い日々を過ごすことになりました。
しかし、本当に人間を裁けるのは天の父、イエス様です。
そのことを忘れたとき、私たちは「他者をジャッジする」という暴力に酔っているだけの愚かな人間になるのです。
無原罪聖母修道院でたまに学んでいます。
若い神父様がよくお使いになる表現に「神の物差し」というものがあります。
私たちは油断するとすぐに「自分の物差し」で物事を見るようになってしまいます。
そのとき、私たちは単にエゴに塗れた愚かで小さな存在に陥り、隣人を本当の意味で愛することができなくなってしまうのです。
教会にはたくさんの人が訪れます。
還暦を過ぎて訪れる方もいます。
その方たちは何を求めてイエス様の下へ来たのか。
何年生きても、真面目に生きても、頑張って生きても、どうしても癒されない傷がある。
大人になったら尚のこと、癒し、満たしてくれる存在は少なくなる。
それを打ち明け、イエス様に癒して頂けるように、と…そのような想いで教会を訪れる。
そんな人々の痛みのために祈ることができる自分になりたいです。