他者をジャッジする罪
今年の5月に修道院で黙想指導を受けてきました。
そこで学んだことは「他者をジャッジしたいというエゴの罪深さ」だと言えます。
修道院長様は多くのことをお伝え下さいましたが、私としては上記のことは非常に肝に銘じて生きていきたいと心から思っています。
私の周りには多かれ少なかれ、他者をジャッジしたいというエゴに突き動かされて生きている人たちが多いです。
いや、実は日本人の殆どがそんな感じなのではないかと思います。
「あなたは○○な人だ」と、他者を断定的に裁く態度をとる人の多いこと。
それが世の中を悪くしているとすら思います。
しかし、見方を変えれば他者を利己的にジャッジする人は、それだけ精神的余裕がないのだと、私は思っています。
まるで神のように、審判を下す自分に快感を覚えている。
そして心の中にある渇きをどうにか潤そうとしている。
そういうことなのかな、と。
私もまた、色々な面で満たされず、苦しみ、ときには他者を妬んだりもしました、いえ今もそういうところは大いにあります。
でも、「他者をジャッジしたい欲求」に突き動かされている人たちを目の当たりにすると、何とも言えない胸の痛みを感じます。
どんなに満たされずとも、他者をジャッジする欲求から解放されるには、やはり神を真っ直ぐに見つめることではないかと思います。