霊的読書
聖人ホセマリア・エクスリバーの言葉の説教の中に「霊的読書」という言葉が出てきます。
この言葉を目にしてから、読書の質についてよく考えるようになりました。
「読書」というのは安易に行うべきものではないと思います。
今は「多読」や「速読」があちこちで推奨され、それができることが能力が高い人間の証かのように喧伝されることもありますが、私は色々なことを経てそうは思わないようになりました。
「読書」というのは「知性」と「精神」を高めるために行う活動です。
ですから、どの本を読んだかはその人の霊性にどのような影響を与えたか、ということに関わってきます。
そのため、今後は心を研ぎ澄まして、読む本も霊的にきちんと選び取らないといけない、と思うようになりました。
また、私がお世話になっているイタリア人神父様が先日私に教皇様のお言葉をプリントアウトして渡して下さいました。
そのお言葉の中で印象的だったのは「私たちは溢れる情報から自由であると言えるのか」ということです。
実は、そのお言葉が書かれたプリントを読んだ前後、SNSのアカウントを消したり、見なくなったり、そのような生活の変化がありました。
自分に必要のない情報を遮ったのです。
私たちが日頃目にする様々な情報は本当に価値があるものかどうか精査されることもなく、私たちの目から入り脳にこべりつき、私たちの精神に働きかけて行きます。
実は、このことに対する危険性のようなものを感じることがあって、タイミング良くSNSの使用の仕方を変えたのでした。
品格のない情報は霊性を傷つけます。
そういうものを目から脳に入れることは避けるべきです。
私が慕うイタリア人神父様も、日本人が広告などで下品なコンテンツを安易に目にすることの危険性を警告なさっていました。
本だけでなく、インターネットの情報も含めて、私たちは目にする情報には注意を払う必要があるのです。